5.本当の願いを言ってごらん
おじい様の処刑を一目見ようという人であふれかえったプロビデンス港に着いてからというものマルコは私の腕をつかみ、逃げさせてくれなかった。
なぜここまでして私を生かそうとするのか
私にはマルコの真意がわからない。
「納得いかねぇって顔だねい。」
「…当たり前でしょ、あなたが何を考えているか私にはまったくわからないわ。」
「わからずやだねい、オレにとってお前は愛おしい女だって言ってんじゃねぇかよい。」
「そ、そういうことじゃないわよ!」
どれだけ早足で歩いてもマルコは腕を放してくれず、ただ何も言わず少し後ろを歩いている。
引っ張られている腕はいい加減痛みを伴ってきたし、これはもう何を言っても堂々巡りなんでしょうね。
は何も言わずただただ日の暮れ始めた石畳の街並みを歩き続けた。
その歩みはの処刑を一目見ようという人々の波に逆行している。
「どこに行くつもりだよい?」
通り過ぎる人々からは嬉しそうな、楽しそうな声色が紡がれていく。
一体何がそんなに楽しいのかしら。
人が、一人死ぬことがこんなにも軽いのか。
ひと通りもまばらになってきた街のはずれに差し掛かり、夕日も随分水平線へと近づいている。
唯一の肉親の処刑がもうすぐ執り行われる。
それなのに、まだ実感がわかないままだ。
「日没はもうすぐだねぃ。民衆の声も大きくなって来てるようだし、そろそろ…」
「うるさいわよ!わかってるわそんなこと!」
「そうかいそうかい。」
わざとこちらの神経を逆なでするような事を言っているのか。
どちらにせよいらいらさせられる。死なせるつもりがないのなら、せめて黙って見届けてくれればいいものを。
もう、この男を撒くことはできないようだ。ならば真意を告げればそのこちらの心をかき乱す口を閉じさせることができるのだろうか。
「高い場所に行きたいの。」
「ん?」
「おじい様が一人で死のうとしてるなら、私は黙って静かに見送る。ただ、あんな人ごみに紛れる気にはなれないわ。」
「ほう。それでいいのかよい?」
「勘違いしないで。私がここに来たのはおじい様を助けるためじゃないわ。おじい様の幕切れだもの、私が口出しするものじゃない。」
「よいよい。で、何をしに来たんだよい?」
「…もう黙ってちょうだい。」
これ以上は聞いてくれるなと一瞥し、または黙々と歩き続けた。
まったくわがままなお嬢様だことだよい。
歩き進める先にはこの島で高いところ、処刑場所が一望できる古びた建物に向かっていた。
そこへ辿り着いた時には日は海の向こうへ姿を消し、残り火のような紅い光が西の空に残るだけだった。
「ここからじゃよく見えないねぇい。」
「いいのよ、身内が殺されるのを鮮明に見たいなんて趣味はないんだから。私はここでただ見届けるだけよ。」
「そうかい。」
「もうすぐ始まる、罪状を読み上げてるわ。さすがにここまでは聞こえない。」
吐き捨てるようにそう呟いたの視線はぼんやりと処刑上の方に向けられている。
唯一の肉親の命が途切れるその瞬間を、こいつは何を思って見つめるのだろうか。
気心知れた仲間の死には何度も立ち会ってきた。
血の繋がりはないが兄弟が自分には大勢いる。
消えゆく兄弟の灯を前に後悔することがこの身を濁流のように飲み込む。
仇はとってやるだとか、守ってやれなくてすまないだとか数多の言葉が頭を駆け巡るが、一番伝えたいものはいつでも同じだ。
ただ一言、この気持ちを伝えることで頭がいっぱいになる。
こいつも胸の中に渦巻くその思いを言葉に乗せて伝えたいくせにまた勝手なしがらみに囚われてやがって。
世話が焼けるというか、金持ちの英才教育ってものの洗脳の強さには感心してしまう。
まぁそれは海の上では何の役にも立たない不必要なもんだが。
「……これでいいのかよい。」
「…………」
「のジジイに伝え残したことはねぇのかよい。」
「さぁ。今の私の頭には何もないみたいよ。何の感情もなくて不思議なくらい。おじい様が死ぬっていうのに、ね。」
「そうかい、それでお前は後悔しねえんだな?」
「しないんじゃない?もう静かにしてくれないかしら、何も考えたくないわ。」
「はぁ…お前馬鹿だな。」
「なんとでも。」
死にゆくおじい様を目の前に、何の感情も湧いてこない。
現実に感情が追い付いていないのでしょうね。
伝えたいこと。せめてお別れを言いたい。
聞きたいことだってたくさんあるわ。
どうして愛した人たちはみんな死んでいってしまうのだろう。
人は無力なものだわ。
だからお金や権力に執着するのね。
手に入れたとしても、結局はこの通り。
言葉一つさえ伝えることができないほど無力な状況にどうすることもできずただぼんやりと眺めているだけ。
「、ひとつ聞くよい。」
「……なに?」
「のジジイはお前を愛していたかよい?」
「それは…ちゃんと聞いたことないから分からないわね。」
「そうか、じゃあ確かめにいかねぇとねい!」
「え!?」
再生の青が身体を包み上がっていく
暖かい炎が風を遮り音を遮る
不死鳥の青で満たされた視界に驚きとそれを変える感動が生まれる
赤と藍色に再生と不死の青が混ざる
「…綺麗」
「そりゃどうも」
「これが不死の象徴なのね、美しいわ…」
「そんなに褒められるとむず痒いよい。」
「別にあなたを褒めてるわけじゃないから気にしないでしょうだい。」
「そうかよい。」
不死鳥は淡く輝きながら人々の中心へと飛び込んでいく。
人々は突然の出来事に声を失い、無音の静寂が夕暮れの世界を支配した。
声を発したのは海兵の誰か。
「不死鳥のマルコだ!」
白ひげとが懇意な仲であることは周知の事実であり
海軍としても今回の処刑に白ひげがかかわる万が一の事態は想定していたが
こんなに大胆な登場は予想しておらず驚きに動きが止まった。
「おじい様!」
「!マルコ、なんで連れてきやがった…」
は苦く不死鳥を睨みつけるも
不死鳥は気にすることもなくを乗せたままとの距離を近づけた
おじいさまが目の前にいる。
手錠をかけられて、いつもはしっかりと着こなされているスーツは乱れてしまっていて
顔には疲労の色が滲んでる。
いつも自信に満ち溢れたその目には悲しみと驚きが溢れてしまっている。
そんな目は嫌。いつも私を見るように慈しみにあふれた目を向けてください。
嫌だ。これが最後だなんて。これがおじいさまとの最後の瞬間だなんて嫌だ。
「おじい様、わたしは…わたしは…」
「、すまねぇな…」
「ちがう、ちがうの…!!」
言葉が出ない、自分は何を伝えたかったのか
出てくるのは涙と嗚咽にも似た叫びばかり
伝えたいことがたくさんありすぎる。
言葉が出てこない孫娘を愛おしく慈愛に満ちた目が見守る
ああ、そうよ。その目が見たかったのよ。
おじいさま、私の思いをどうか聞いてください。
「、わしはお前に何もしてやれなかったなぁ」
「そんなことないわ…」
「なるだけ多くのものをお前に残してやりたかったが、ドジ踏んじまったな。残すどころかまたお前からすべてを取り上げちまった。」
「おじいさまは私を守ってくれた!おじいさまは私にいろんな世界を見せてくれたわ!私は…私は…!」
どうしてこの孫と祖父の思いは掛け違っていくのだろう。
お互いを思いすぎるがゆえにうまくコミュニケーションが取れない
同じ想いは同じ方向へ、しかしその思いは決して交わらない並行した思い
「似たもの同志すぎるねい。」
「マルコ…?」
「、聞きたいことがあったんじゃないのかい?」
「聞きたいこと…そう、聞きたいことがあるの!」
堪えきれない涙が溢れ出していく。
どうして、どうしてこんなことになったのか。
できることならすべてが夢であってほしい。
でもこれは夢じゃないから、夢じゃないんだ。
だから悔いのないように聞きたいことがある。伝えたいことがある。
「おじいさまは、私を愛してくれてますか?」
おじいさまの目が見開かれ、そして眉間にしわを寄せ顔を歪ませる。
ああ、その顔は好きじゃないわ。お母様たちを思い出す時の顔だもの。
許しを請い自分自身を責める時の顔だわ。
「あたりまえじゃないか、お前以上に愛してる奴はいないぜ…、愛しい俺の孫娘。」
どうかお前を残して逝くことを許してくれ。
そう苦しそうに言うおじいさま。
私は感情が口から体の外へ溢れてしまうんじゃないかというほどの愛おしさで溢れた。
もっと早く分かり合えていれば、こんなことにならなかったのかもね。
簡単なことだったんだ。こうして愛してると互いに言葉にするだけでよかった。
お互いに愛されるために必死だったのね。
おじいさまは私に許しを請うために地位と名誉を、私はおじいさまを受け入れるために言われるがままの人形を。
それぞれが遠回りにお互いを想い合っていた。
「おじいさま、私も愛してるわ。お母様もきっとそうだった。だって、家族じゃない。」
「そうだなぁ…家族だよなぁ。信じきれなくてすまなかった。」
「もう、いいの。もう分かり合えたもの。本当私たちって不器用ね。」
「まったくだ。」
海兵たちが正気を取り戻し騒ぎ始めてきた。
そろそろここを離れなければこちらも無事では済まないだろう。
「マルコ。」
「なんだよい。」
「を、頼む。」
「…わかったよい。」
ガキの頃からいけ好かねえジジイだったが、慕っていたんだ。
いつかこのジジイに認めてもらえるようにと心にはそんな思いがあった。
こんな、最後の最後に認められたって、嬉しくねぇ。
本当いけ好かねえジジイだ。
言われなくてもそのつもりだよい。
「もう、会えないのね。」
海兵の銃弾を避け、処刑所を後に再び村はずれへと飛んだ。
ぼそりと誰にも届かないような声で呟くに涙は既になく、呆然と佇む。
抱きしめてやりたい。
その喪失感に満ち満ちた心をこの腕でこの身で癒してやりたい。
与えてやるのは簡単なのだ。
でも、それじゃ何も変わらない。
「、これからどうするんだよい。」
「そうね…どうしようかしら…」
何も考えたくないけれど、考えなくちゃいけない。
きっとさっきの一件で私の顔は海軍に割れてしまった。この島にとどまることはできない。
家は反逆者なのだから、政府から私にも何らかの罪が与えられるだろう。
「罪を償うのも、ありね。」
「はっ、いわれのない罪をかい?そりゃ酔狂がすぎるねい。」
「だって、どうしようもないじゃない。私に行くあてなんてないもの。こそこそ逃げ回るくらいならいっそ捕まってしまう方が楽よ。」
「本当にそう思うのかい?」
そんなわけがない。
血筋の良いこの身は天竜人の格好の餌食となるだろう。
天竜人になりそこなった家の死にぞこないだなんて、余興にはもってこいだわ。
望むことはある。けれどそれはあまりにもおこがましい願いだ。
「そういやまだ渡してなかったねい。」
「何を?」
「てめぇの好きなもんをくれてやるよい。」
「あの賭けの…?」
「そうだよい。さあ、俺はお前に好きなもんをくれてやらなきゃいけねえんだが…」
マルコはずるい。
どうしてそうも私の欲しい言葉ばかりくれるのだ。
そうよ、私は死にたくなかった。
おじいさまの真意を確かめたかった。
あなたはことごとく私の欲しいものを与えてくれる。
私を甘やかすあなた、できることなら…
「、本当の願いを言ってみな。」
ああ、もうこの鳥かごは心地が良すぎる。
一度飛び立ったはずなのに、戻りたくて仕方がない。
勝手に出て行ったのに戻ることさえ許してくれるこの場所をもう、手放したくない。
「私を、どうかあなたの側に…」
強く抱きしめるこの腕をもう失いたくはない。
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